吉兼ほほな です^^
今日も、自宅サロンの大きな窓から、空を眺めながら、
ブログを書いています。
今日は、少し曇った晴れですが、
本当にここから見える大自然には感謝です。
見ているだけで、
心がすぅ~っっと広がっていきます。
今日は、
働かなくても食べていける世界に行く方法について、書きます。
まず、質問です。
あなたは、
働かないものは、食うべからずの世界と、
働かなくても、食べていける世界とどちらに住みたいですか?
世の中には、
働かなくても食べて生きていける世界もあるそうで、
私の知人が訪れた島では、
一日、海のそばで寝ていた人が、
食事の時間になると、
その島の人に
「今日は魚がいっぱい取れたから、
食べてくか~?」
って、声をかけてもらえる。
それを遠慮などせず、
ありがたくいただく
というのが、
当たり前なところがあるんだそうです。
きっと、あるものをみんなで分けて、
その分かち合いを楽しんでいるのでしょうね。
きっと、お魚を釣った人は、
それを自分だけ(家族だけ?)で食べるより、
その昼寝をしていた人と食べるほうが嬉しくて、
その昼寝をしていた人がおいしいそうに、または喜んで食べてくれたら、
もっと嬉しくて
そんな「分かち合い」が当たり前な世界があるんですね。
ところで、
日本でも、
ネット上で
「交通費と食費を出してくれたら一緒にご飯を食べます。」
という内容で呼びかけ、
ご飯を食べている人がいるそうです^^;
それも結構な人気だそうで。
自分をレンタルしてる人もいるそうで、
その人も、交通費のみで、
必要な人のところにいって、
できることはするそうです。
たとえば、一緒にご飯を食べるもそうですし、
駅で見送ってほしいとか、
一緒に街を歩いてほしいとか
などで、
テレビに出るくらい、
人気で予約もいっぱいなんだとか。
凄いですよね~
その人が「いる」だけで、価値があるということを
みんなに身をもって
見せてくれているんですよね~
(本人にその意識があるかは?ですが。)
さて、
私たち日本人(だけじゃないかな?)の多くは、
「働かざる者食うべからず」の暗示(呪い?(笑))にかかっていますよね~
働かなくては、食べていけないし、
働かないでは、食べちゃいけない
という思い込みがあったりしませんか?
そもそも、働くとは何ぞや?
ということで働くことの定義がひとそれぞれ違うかもですが、
最初に書いた島の寝ている人の話も、
ご飯を一緒に食べてくれる人も
自分をレンタルする人も、
誰かの役に立っていて、
たとえご飯でも電車賃でも得ているのは報酬だと考えれば、
働いていることになるかもですが、
だとしたら、
私たちは、
存在だけで、
誰かの役になっているし、
存在給をもらってもいいと思うんです。
そんな働き方が
増えていってもいいのかもしれません。
存在がお金になることをクリエイティブしたら、
それもとても楽しそうだし、ステキです^^♪
だから、
私は、
「働かざる者食うべからず」の慣用句を
頭の中から消してしまったほうがいいんじゃないか!
と思っています。
働かなくてもいいよ!
どうせ、みんなどこかで役に立っているし、
それはお役割もあるし、
そして循環していくし。
そして、
そんな意識がもっと、
増えて言ったらいいな~♪
って思っています。
そこから、
そういう豊かさの循環の世界ができていくんだと思います。
だから、今日の私の最初の質問の私の答えは、
働いても働かなくても
食べていける世界に住みたいです
です^^
皆さんは、どんなことを考えましたか?
あ、ちなみに、この記事のことで、
たんなる理想論だとか、
そもそも考えが正しいとか、正しくないとかの
論争をするつもりも、
それだけの能力もありません^^;
個人的な考えの一つと思って、
読んでいただけるとありがたいです♡
「いる」だけで、価値しか感じられない代表↑💕かわゆすぎ!しかもポーズ最高!
吉兼ほほな