こんにちわ。吉兼ほほなです。
いつもありがとうございます✨

ちょっと前回の話の続きになりますが、
※まだの方は、こちらからどうぞ!

幸せのなり方に対する考え方、プロセスが
昭和の時代とは、
真逆なのか?と思う程、変化している中、

家庭、家族の在り方も変化するんだなあ~
と改めて感じるんですね。

数年前に読んだ『皇の時代(小山内洋子箸)』も
最初は、

そんな素敵な時代(楽がテーマの時代)になるんだ✨
それならいいな♪楽しそうだな♪

とワクワクして読めたのですが、
途中で、
でもイヤダ!と思って読むのをやめてしまった
章があったんですね。

そこが、
<家庭、家族の変化>のところだったんです。

その中では、
一番大切なこととして、
”それはたとえ親子であれ、夫婦であれ、兄弟、姉妹といえども、すべて「他人」である。”
と前提されたうえで、

人間の課せられた宇宙のルールに従わない人とたちは、
生きられないようになっていくと書かれているんですね。

そして、その家庭、家族の宇宙のルールについて
触れていきますが、

ちょっと前の私は、
この考え方が受け入れられなかったので、
受け入れたくないな~という考えが出る方は、
スルーしていただいていいです。

お気持ち、わかりますから^^

でも、実は、、、
現在の自分の周りの状況を見ると、

「結局そうだなあ~」と感じる点が多いので、
やはりお伝えしようと思ったわけです。

まず、
1、「絶対的自由」の尊重

ここで定義する絶対的自由は、

相手がどんな状態にあろうとも、相手から頼まれないときは、
他人が手を差し伸べたり、助言したりせずに、
黙って守ってあげる

というもの。

はたから見ると大変だな~、可哀そうだなあ~と思うことも、
それは、本人の思考、行動がズレていますよと、自然が教えてくれている、
本人にせっかく与えた貴重な気づきのチャンスなので、
奪ってはいけないということなんですね。

もちろん、本人から助けを求められたとき、
自分が心からやってあげたいと思ったときなら、
温かく手を差し伸べてもいいのだそうです。

そして、ここで重要なのは、
家族も他人という前提です。

家族が苦しんでいたら心配で、
つい手を出し、口出しをしたくなるのが情
というもの。

でも、情は、
可哀そうという同情からくるもので、
相手の能力を尊重せず、見下したところから出るもので、
本当は、失礼なことだと
知っていた方がいいかもしれません。

愛と、情は、似て非となるものなのですね。

この「絶対的自由」のところは、
私も、頭では理解できていて、コーチであるので、
気を付けているのですが、
まだまだ難しく感じるところでもあります。

2、家族全員のそれぞれの「自立」

自立は、新しい時代の3本柱の一つのようで、

家族といえども、もたれ合い、頼り合うのはできなくなり、
時代が進むと、

ある一定の年齢(20歳くらいか?)になって、一度家を出たら、
一生家族に会わないのが、本来の姿になる

というのです。

動物はみんなやっているので、
自然の流れといえば、そうなのかもしれませんが、

最初に、私が怒りを感じたところでもあります^^;

特に、ちょっと前まで、子離れが出来てませんでしたので、
そんな未来はイヤダ!と強く感じ、
また、寂しさが強すぎて、怒りになったのでしょう。

今となっては、
子離れが進んだせいか、
受け入れられそうな気持になっている自分にびっくりです(笑)

3、家事はもう女の仕事でない

主婦は、家事がどんどん嫌いになっている。
これは、主婦が怠け者になったのではなく、
時代の変化に伴う自然の意志なのだそう。

家事が面倒に感じる私にとっては、
自分が肯定されたような嬉しい考え方です✨

これからは、
家事が好きで得意な人がやればいい。
基本的には、家事全般がロボットに代わっていくんだと。

ここは、私にとっては、朗報です(笑)

4、食事はバラバラでOK!

食事は、なるべく一人でするのがいい。
今のように家族みんなが同じものを、ワイワイしゃべりながら、
お腹いっぱい食べるのではなく、

それぞれが自分の時間に会ったときに、
自分の好きなもので美味しいと思うものを腹七分で食べるのがいい。

ということで、「孤食」こそ、
時代の先取りなんだとか(笑)・・・

ほほなさんの孤食を救うランチ会を開催している私としては、

自分が時代の先頭の食事法を実践しているのかと思ったら、
可笑しくなりました^^!

ちなみに、孤食が主の私ですが、
だからこそ、
誰かと一緒に食べられる日がとても幸せです。

そして、孤食がつらいかというと、
実はそうでもなくて、
今や結構その時間も好きでして、

3日に一食程度、誰かと食べるのが理想な感じな
自分であることを最近自覚しています。

5、結婚から綸婚へ

今はまだない言葉なのでしょうか?
綸婚と検索しても出てこないですが、「かんこん」と読むんだそう。

綸婚とは、夫婦でなく、人生のパートナーという関係。
なので、相手は、男対女、男対男、兄対弟、友人同士、老人対若者など
どんな組み合わせでもいい。

お互いに楽しく、楽に暮らしながら、
人生も豊かに向上するように学習していく関係。

必ずしも一緒の家に住む必要なく、
ひとり暮らしでもよく自由。

これもね、、、

すでに、そういう感じの人たちは増えてますよね~

あかの他人が家族のように暮らすコミュニティーも存在しているし、
とても仲のいい夫婦が、
別宅で暮らしているのも知っています。

と、とりあえず、
ここまでにしておきますね。

ここまででも、
信じられなかったり、
信じたくない内容(だらけ?)があるかもですが、

私がまだ消化しづらいものは、
もうちょっと消化してから、
文章にしたいな~

と思うのです。

もちろん、私が生きている時代に
どの程度まで進むのか?進まないのか?
分かりません。

ただ、私が今見ている世界、
平成の子たちの動きを見ていても、

「そうなんだなあ~」
と体感させられている感じは、
否定できないのですね。

みなさんは、
どのように見えていますか?
そして、感じていますか?

新たな視点や気づきになっていたら、
嬉しく思います。

Know me club主宰 吉兼ほほな